県立なのに施設が半端じゃない学校
先日、県立不動岡高校に授業を見に行った話を書いたが、この学校の施設は半端じゃないので、まだ行ったことがない人のために、ちょっとその話をしておこう。
埼玉県内の公立高校の中で「最高の施設と設備」を誇る、と同校の学校案内パンフレットに、そう書いてある。
校舎は4棟、体育館2つ、グランドは野球用、陸上用、サッカー・ラグビー用の3つ。50mの公認プールもある。
すごいでしょう。
一般に、公立高校というと、施設・設備の点で私立高校に劣るという印象がある。
いや、印象ではなく、実際にそうだ。
私がかつて勤務した学校なんか、昭和40年代に大量に作った学校のうちの一つだったから、とりあえず最低限の施設・設備だけは作りましたっていうだけ。何の変哲もないただの箱。
あの頃、つまり昭和40年代~50年代には、実に80校近い県立高校が作られた。生徒の数が爆発的に増えたからだね。それと高校進学率が急上昇した。
だから、コスト節約のために、同じ設計で作らざるを得なかったんだ。
その点、昔からある伝統校は違う。
だいぶ校舎が老朽化してしまった学校もあるが、不動岡とか春日部あたりは、ここ10数年ほどの間に全面改築したから、私立顔負けの施設・設備となっている。
ちなみに不動岡は、県内最古の学校だ。創立明治19年。浦和や熊谷が明治28年だから、それよりも古い。
私が、不動岡ですぐ思い浮かぶのは、埼玉県知事だね。
今が上田清司知事、その前が土屋義彦知事。で、さらにその前の知事が、畑和(はた・やわら)という人で、この人が今の県立不動岡の出身。5期20年務めた。長かったね。
じゃあ、その前は。
同じく不動岡出身の栗原浩知事が4期16年務めた。
ということは、戦後69年間のうち、36年間は不動岡OBが埼玉県知事であったわけだ。
もちろん、それが理由で校舎がいいって話じゃないよ。お二人ともとっくに亡くなってる人だからね。
でも、こういう古い学校は、政界・官界・経済界にたくさんの卒業生を送り出しているからね。そういうOBたちが、いろんな場面で母校の力になってくれる。
私の勤務した学校は、当時卒業生も1期か2期しか送り出してなかったから、彼らに母校への支援をお願いすることができなかった。だから、いつも、伝統校はいいなと思っていた。羨ましかった。
と、これで終わってしまうと、伝統校はいいぞっていうだけの話になってしまうが、歴史が浅い学校にだっていいところはある。
歴史を作っていく楽しみだ。創造の喜びだ。
私は今でもそれを誇りに思っている。



埼玉県内の公立高校の中で「最高の施設と設備」を誇る、と同校の学校案内パンフレットに、そう書いてある。
校舎は4棟、体育館2つ、グランドは野球用、陸上用、サッカー・ラグビー用の3つ。50mの公認プールもある。
すごいでしょう。
一般に、公立高校というと、施設・設備の点で私立高校に劣るという印象がある。
いや、印象ではなく、実際にそうだ。
私がかつて勤務した学校なんか、昭和40年代に大量に作った学校のうちの一つだったから、とりあえず最低限の施設・設備だけは作りましたっていうだけ。何の変哲もないただの箱。
あの頃、つまり昭和40年代~50年代には、実に80校近い県立高校が作られた。生徒の数が爆発的に増えたからだね。それと高校進学率が急上昇した。
だから、コスト節約のために、同じ設計で作らざるを得なかったんだ。
その点、昔からある伝統校は違う。
だいぶ校舎が老朽化してしまった学校もあるが、不動岡とか春日部あたりは、ここ10数年ほどの間に全面改築したから、私立顔負けの施設・設備となっている。
ちなみに不動岡は、県内最古の学校だ。創立明治19年。浦和や熊谷が明治28年だから、それよりも古い。
私が、不動岡ですぐ思い浮かぶのは、埼玉県知事だね。
今が上田清司知事、その前が土屋義彦知事。で、さらにその前の知事が、畑和(はた・やわら)という人で、この人が今の県立不動岡の出身。5期20年務めた。長かったね。
じゃあ、その前は。
同じく不動岡出身の栗原浩知事が4期16年務めた。
ということは、戦後69年間のうち、36年間は不動岡OBが埼玉県知事であったわけだ。
もちろん、それが理由で校舎がいいって話じゃないよ。お二人ともとっくに亡くなってる人だからね。
でも、こういう古い学校は、政界・官界・経済界にたくさんの卒業生を送り出しているからね。そういうOBたちが、いろんな場面で母校の力になってくれる。
私の勤務した学校は、当時卒業生も1期か2期しか送り出してなかったから、彼らに母校への支援をお願いすることができなかった。だから、いつも、伝統校はいいなと思っていた。羨ましかった。
と、これで終わってしまうと、伝統校はいいぞっていうだけの話になってしまうが、歴史が浅い学校にだっていいところはある。
歴史を作っていく楽しみだ。創造の喜びだ。
私は今でもそれを誇りに思っている。


