個人的には「善」だが、全体的には「悪」かもしれない
経済学では「合成の誤謬」という考え方がある。
「ごうせいのごびゅう」。
個人にとって好ましい行動であっても、世の中全体で見た場合は、必ずしも良い結果をもたらさない。
その良い例が節約だ。
一家庭、一個人にとっては、無駄な消費を抑えて、お金を貯めるのは悪いことじゃない。
でも、人々がお金を使わない(消費を抑える)ということは、企業やお店の側から見れば、ものが売れないということになる。つまり儲からない。
儲からないと社員の給料も上げられないし、もしかすると、社員を雇えなくなるかもしれない。
ものすごく乱暴な言い方をすれば、「お母さんが節約すると、お父さんがクビになる」。
国の経済というのは、なかなか難しいものだね。
これから大人になって行くきみたちは、少しずつでいいから、個人の視点からものごとを見るだけでなく、全体の視点からもものごとを見られるようになってもらいたいと思う。
消費税をさらに上げて、10%にすることが計画されている。
個人的には、誰だって嫌だ。
しかし、税金は国や県の収入ということだから、増税すれば、それが増えることが期待される。教育や社会保障や、いろんなことに使える予算を増やすことになる。
あまり上品な言い方じゃないが、きみたちは、税金で作った道路を歩いて、税金で作った学校に登校し、税金で雇った先生に勉強を教わっているのだ。払ったことない税金だが、ずいぶんお世話になっているのだ。
そう考えると、国や県の税金収入を増やすことも、大事なことなんじゃないかと思えてくる。
と、あまり増税に味方すると、税務署の回し者かと思われるといけないので、増税のマイナス面も言っておこう。
増税すると、みんなが節約に走ってしまう可能性がある。
そうするとほら、最初の話だ。
みんなが節約すると、結局、全体にとって良い結果にならないかもしれないんだ。
私も個人の立場だったら、増税はして欲しくないけど、国や県全体ということになると考えてしまうね。
国や県の収入が増えて、われわれの生活が良くなるかもしれないし、逆に、世の中全体の景気を悪くしてしまうかもしれない。
どうしよう。
そんなこと考えてると、眠れなくなるな。
「ごうせいのごびゅう」。
個人にとって好ましい行動であっても、世の中全体で見た場合は、必ずしも良い結果をもたらさない。
その良い例が節約だ。
一家庭、一個人にとっては、無駄な消費を抑えて、お金を貯めるのは悪いことじゃない。
でも、人々がお金を使わない(消費を抑える)ということは、企業やお店の側から見れば、ものが売れないということになる。つまり儲からない。
儲からないと社員の給料も上げられないし、もしかすると、社員を雇えなくなるかもしれない。
ものすごく乱暴な言い方をすれば、「お母さんが節約すると、お父さんがクビになる」。
国の経済というのは、なかなか難しいものだね。
これから大人になって行くきみたちは、少しずつでいいから、個人の視点からものごとを見るだけでなく、全体の視点からもものごとを見られるようになってもらいたいと思う。
消費税をさらに上げて、10%にすることが計画されている。
個人的には、誰だって嫌だ。
しかし、税金は国や県の収入ということだから、増税すれば、それが増えることが期待される。教育や社会保障や、いろんなことに使える予算を増やすことになる。
あまり上品な言い方じゃないが、きみたちは、税金で作った道路を歩いて、税金で作った学校に登校し、税金で雇った先生に勉強を教わっているのだ。払ったことない税金だが、ずいぶんお世話になっているのだ。
そう考えると、国や県の税金収入を増やすことも、大事なことなんじゃないかと思えてくる。
と、あまり増税に味方すると、税務署の回し者かと思われるといけないので、増税のマイナス面も言っておこう。
増税すると、みんなが節約に走ってしまう可能性がある。
そうするとほら、最初の話だ。
みんなが節約すると、結局、全体にとって良い結果にならないかもしれないんだ。
私も個人の立場だったら、増税はして欲しくないけど、国や県全体ということになると考えてしまうね。
国や県の収入が増えて、われわれの生活が良くなるかもしれないし、逆に、世の中全体の景気を悪くしてしまうかもしれない。
どうしよう。
そんなこと考えてると、眠れなくなるな。