1年があっという間に過ぎるのは、年のせい
1年があっという間に過ぎると感じるのは年のせいである。
子どもの頃の1日は長かった。1週間も、1か月も、1年も、うんと長かった。
しかし、誰にとっても1日は24時間であるから、これは一種の錯覚なのである。
私は還暦をとうに過ぎて、老境に入ったから、よく分かるのだが、
何をやるんでも動作が緩慢になった。ものごとの判断にも時間がかかるようになった。
だから、若い頃なら半日で片づけていたことが、一日かかるようになった。
それで、「あれ、もう夕方になっちゃった。一日は早いねぇ」となる。
一日が早くなったのではなく、自分が遅くなったのだ。
「待ち遠しい」という感覚もなくなった。
何しろ、時間があっという間だから、すぐにその日がやってくる。
その点、子供の頃は「待ち遠しい」だらけだったね。遠足も運動会も、なかなかその日がやって来ない。
私が「待ち遠しい」と思わなくなったのは、ほとんどの出来事がすでに経験済みであるからだ。
やる前から結果が見えていることばかりだ。これじゃ、心躍らない。
逆に子供たちにとっては、ほとんどのことが初体験であるから、ワクワク、ドキドキ、「まだかな、まだかな」と待ち遠しくてたまらない。
大人はノロマだから、時間の方が早い。
子供は俊敏だから、時間の方が遅い。
これが今日の結論だ。
一人焦っているお父さんやお母さん。
自分の時計で計っちゃだめですよ。
「入試まで2か月しかない」というのは大人の感じ方。
「入試まで2か月もある」というのは子供の感じ方。
子どもの頃の1日は長かった。1週間も、1か月も、1年も、うんと長かった。
しかし、誰にとっても1日は24時間であるから、これは一種の錯覚なのである。
私は還暦をとうに過ぎて、老境に入ったから、よく分かるのだが、
何をやるんでも動作が緩慢になった。ものごとの判断にも時間がかかるようになった。
だから、若い頃なら半日で片づけていたことが、一日かかるようになった。
それで、「あれ、もう夕方になっちゃった。一日は早いねぇ」となる。
一日が早くなったのではなく、自分が遅くなったのだ。
「待ち遠しい」という感覚もなくなった。
何しろ、時間があっという間だから、すぐにその日がやってくる。
その点、子供の頃は「待ち遠しい」だらけだったね。遠足も運動会も、なかなかその日がやって来ない。
私が「待ち遠しい」と思わなくなったのは、ほとんどの出来事がすでに経験済みであるからだ。
やる前から結果が見えていることばかりだ。これじゃ、心躍らない。
逆に子供たちにとっては、ほとんどのことが初体験であるから、ワクワク、ドキドキ、「まだかな、まだかな」と待ち遠しくてたまらない。
大人はノロマだから、時間の方が早い。
子供は俊敏だから、時間の方が遅い。
これが今日の結論だ。
一人焦っているお父さんやお母さん。
自分の時計で計っちゃだめですよ。
「入試まで2か月しかない」というのは大人の感じ方。
「入試まで2か月もある」というのは子供の感じ方。