成人式は完全なる「お子様イベント」
今日は早朝から仕事であったが、考えてみれば成人式なのである。
成人式というのは、諸外国ではほとんど例がなく、日本独特のものだそうである。
ちょっと調べてみたら、戦後、埼玉県蕨市で行われた「成年式」が、そのルーツであると書いてあった。蕨、やるじゃん。
今の成人がとてつもなく子どもに見えるのは、私自身が年をとったせいである。
彼らから見た私が、思いっきり「お爺さん」であるように、私から見た彼らは、ほとんど「赤ん坊」なのである。
しかし、それだけではない。
中卒や高卒が当たり前だった時代の20歳は、すでに社会人として自立している者も多かった。
だから、成人式は、名実ともに大人とみなされる区切りの式典という意味合いだったろう。つまり、実際には大人の社会の社会に仲間入りしているが、法律的にも大人とみなされる、そういう式典だ。
今はその逆で、法律的には大人だが、本当に大人の社会に入るのは、まだまだずっと先の話であるから、成人式というのは、完全なる「お子様イベント」なのである。
そう考えれば、この日のばか騒ぎは、まあ仕方ないかなと思える。
大人の自覚など求めるのは、所詮無理というものである。
成人式というのは、諸外国ではほとんど例がなく、日本独特のものだそうである。
ちょっと調べてみたら、戦後、埼玉県蕨市で行われた「成年式」が、そのルーツであると書いてあった。蕨、やるじゃん。
今の成人がとてつもなく子どもに見えるのは、私自身が年をとったせいである。
彼らから見た私が、思いっきり「お爺さん」であるように、私から見た彼らは、ほとんど「赤ん坊」なのである。
しかし、それだけではない。
中卒や高卒が当たり前だった時代の20歳は、すでに社会人として自立している者も多かった。
だから、成人式は、名実ともに大人とみなされる区切りの式典という意味合いだったろう。つまり、実際には大人の社会の社会に仲間入りしているが、法律的にも大人とみなされる、そういう式典だ。
今はその逆で、法律的には大人だが、本当に大人の社会に入るのは、まだまだずっと先の話であるから、成人式というのは、完全なる「お子様イベント」なのである。
そう考えれば、この日のばか騒ぎは、まあ仕方ないかなと思える。
大人の自覚など求めるのは、所詮無理というものである。