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いつから責任を厳しく問う社会になったのか

 私が若いころ、こんなにも「責任」という言葉が世の中に氾濫していただろうか。
 ふと、そんなことを考えてみた。

 もちろん、「責任」という概念は古くからあったわけだし、言葉自体も新しいものではない。
 ただ、「説明責任」とか「任命責任」なんていうのは、若い頃に聞いたり使ったりした記憶はないな。
 今の若い世代は知らないと思うが、なにせ昭和時代は「無責任」が流行語になったぐらいだからね。

 産業公害が社会問題になったころから「無過失責任」という言葉が世間に広まった。その後、「製造物責任」も使われるようになった。しかし、これは法律上の責任のことであるから、いま私が考えている責任とは、性格が異なる。

 「結果責任」「自己責任」「戦争責任」「任命責任」「説明責任」等々。
 「責任」の前に「〇〇」をつけて、当事者を厳しく追及するようになったのは、平成に入ってからかな。
 これはもう少し調べてみなければならないが、感覚的にはそう古い話ではない。

 たとえば、「説明責任」なんていうのは、昔だったら「ちゃんと説明しろ」で済んだ話だろう。それを今は「説明責任があるだろう」とやる。まるで説明が不十分なことが犯罪であるかのように。

 「責任」は重い言葉である。
 だから、「〇〇」の後に「責任」とつけると、「○○」がものすごく重たいものに感じられる。

 「権利」という言葉にも同様な効果があって、「〇〇できる権利」「〇〇しない権利」など、いろんなことに「権利」をくっつけると重たい感じが出てくる。

 こうして軽々と「責任」だの「権利」を使うようになると、われわれは、その中身を深く考えなくなる。
 いや、われわれなどと一般化してはいけない。私は、としよう。
 「責任」や「権利」は重たい言葉であるから、よくよく考えて使うことにしよう。

 さて、今日の話題は、もちろん「イスラム国人質事件」にかかわる自己責任論からの連想である。
 「自己責任」と言うともっともらしいが、単に「自業自得」と言っているだけの人も多いように見受けられる。
 「自己責任」と「自業自得」、一緒にしちゃまずいだろう。

 世の中には死の危険と隣り合わせの職業に従事している人が大勢いる。そういう人々のおかげで、われわれの安心や安全が守られているとも言える。
 民間のジャーナリストや戦場カメラマンなどが、それに該当するかどうかは議論のあるところであるが、かれらの決死の行動が、われわれにもたらしているものについても考えてみなければならない。
 かれらは、テレビ局や新聞社の社員が絶対に行かないところに行っているのだ。テレビや新聞の戦争(紛争)報道は、かれらによって支えられている。

 そう考えると、今流れている「自己責任論≒自業自得論」にやすやすと与することができないというのが、現在のところの私の考えである。

 

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受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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