国旗を掲揚し国歌を斉唱すると戦争になるらしい
安倍首相が9日の参院予算委員会で、国立大学の卒業式や入学式での国旗掲揚・国歌斉唱に関して「改正教育基本法の方針にのっとり、正しく実施されるべきではないか」との認識を示した。
質問者である松沢成文議員が示した文科省の資料によると、直近の卒業式で国歌斉唱を実施したのは国立86大学のうち14大学だったという。
そうだったのか、知らなかった。
私は、てっきり行われているものとばかり思っていた。
仕事柄、いろいろな学校の式典に参列するが、私の知るかぎりでは、中学高校においては、当然のごとく国旗が掲揚され、国歌が歌われておるぞ。まさか国立大学で実施されていないとは驚きだ。
私も元公立高校教員であるから、先生の中に国旗・国家に反対する人々がいることは知っている。日の丸・君が代は、かつての軍国主義の象徴であるからというのが、かれらの言い分だ。国旗を掲揚し、国歌を斉唱することは、日本を再び戦争に導くことになるというのである。
ちなみに、「かれら」とは、ほとんどが教職員組合に属する先生たちなんだが、何でもかんでも戦争に結び付けてしまうかれらの想像力には、いつも閉口していたよ。
たとえば。
もっと服装や頭髪の指導を厳しくやろうぜと言うと、個人の自由だ、思想・信条の自由を脅かしてはいけない、自由の侵害は戦前の日本に逆戻りさせることになる、再び生徒を戦場に送り出すようなことはあってはならない。
と、こう来るわけだ。すごい想像力だろう。
一般常識の話をしてるんだけどね。
それが、憲法9条を守れとか、戦争反対とかの話になっちゃう。ばかげてるだろう。で、不毛の論議が続いて、午後5時になると、勤務時間が過ぎてるから会議をやめろ、続けるなら代休よこせと言いだす始末だ。
長引かしたのはオマエラだろう。
私が教員をやめて嬉しかったことの一つは、こういう低レベルな議論で時間を無駄に使わなくて済むようになったことだ。
私は、儀礼とか式典というのは、洋の東西を問わず重要なものだと思っている。
国際化が叫ばれている時代ではないか。
自国の国旗・国家に誇りを持ち、他国のそれに対しても敬意を払う、そういう人間を育てるのが教育の目的であって、それを、戦争の問題と結びつけるというのは、ぶっ飛び過ぎだと思うぞ。
質問者である松沢成文議員が示した文科省の資料によると、直近の卒業式で国歌斉唱を実施したのは国立86大学のうち14大学だったという。
そうだったのか、知らなかった。
私は、てっきり行われているものとばかり思っていた。
仕事柄、いろいろな学校の式典に参列するが、私の知るかぎりでは、中学高校においては、当然のごとく国旗が掲揚され、国歌が歌われておるぞ。まさか国立大学で実施されていないとは驚きだ。
私も元公立高校教員であるから、先生の中に国旗・国家に反対する人々がいることは知っている。日の丸・君が代は、かつての軍国主義の象徴であるからというのが、かれらの言い分だ。国旗を掲揚し、国歌を斉唱することは、日本を再び戦争に導くことになるというのである。
ちなみに、「かれら」とは、ほとんどが教職員組合に属する先生たちなんだが、何でもかんでも戦争に結び付けてしまうかれらの想像力には、いつも閉口していたよ。
たとえば。
もっと服装や頭髪の指導を厳しくやろうぜと言うと、個人の自由だ、思想・信条の自由を脅かしてはいけない、自由の侵害は戦前の日本に逆戻りさせることになる、再び生徒を戦場に送り出すようなことはあってはならない。
と、こう来るわけだ。すごい想像力だろう。
一般常識の話をしてるんだけどね。
それが、憲法9条を守れとか、戦争反対とかの話になっちゃう。ばかげてるだろう。で、不毛の論議が続いて、午後5時になると、勤務時間が過ぎてるから会議をやめろ、続けるなら代休よこせと言いだす始末だ。
長引かしたのはオマエラだろう。
私が教員をやめて嬉しかったことの一つは、こういう低レベルな議論で時間を無駄に使わなくて済むようになったことだ。
私は、儀礼とか式典というのは、洋の東西を問わず重要なものだと思っている。
国際化が叫ばれている時代ではないか。
自国の国旗・国家に誇りを持ち、他国のそれに対しても敬意を払う、そういう人間を育てるのが教育の目的であって、それを、戦争の問題と結びつけるというのは、ぶっ飛び過ぎだと思うぞ。