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学者は結果の責任を取る人ではない

 学者が何を言おうと自由である。
 わが国は、学問の自由・言論の自由が保障された国なのだから。

 私の身の回りにも大学教授の肩書を持った人間は掃いて捨てるほどいる。中にはこんなんでよく学者がつとまるなという低レベルなやつもいるが、それは私のレベルがその程度であるのが主な原因であって、世の中には、立派な学者は大勢いる。

 しかし、たとえば。
 教育学者と教育者は、まったく別の職業である。経営学者と経営者もしかり。
 ブログ読者の中には学校の先生も多いと思われるが、教育学者の言うとおりにやって、実際の教育がうまく行くと思っている先生は少ないだろう。たぶん、いないんじゃないか。
 塾経営者もまた、経営学者の言うとおり経営してもうまく行くはずがないと思っているだろう。

 と言って、私は別に学者や研究者をバカにしているわけではない。
 かれらの研究が、世の中の進歩発展に大いに寄与していることは明らかである。

 ただ、かれらは研究の結果としての理論を述べる人であって、それを実践した場合の責任を取る人ではないのである。
 よく、学者は無責任だと批判する人がいるが、そもそも責任を取る立場にないのだ。

 さあ、ここまで書けば、もうお気づきだろう。
 国会における「安保法制」論議である。

 学者の意見なんぞ無視しろとは言わない。
 だが、かれらは責任を取る人ではない。
 学者が反対しているから反対だという論は、そのとおり実践し、それによって不都合が生じた場合の責任を転嫁しようとするものであり、政治家としての責任を放棄するものだ。

 戦争や紛争は起こらない方がいいに決まっている。
 だが万一そのような事態を招いたとき、
 「おかしいな。理論的には起きないはずなんだがな。学者もみんな言ってたし」
 なんて言われても困るのだ。

 政治家のくせに、いつまでも、学者が、学者がなんて言ってるんじゃないよ。

 

 

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受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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