凡打を恐れちゃいけない
知り合いがブログを始めたいと言う。
どうぞご自由に。
何かアドバイスをと言うから、「毎日欠かさず書く」とだけ。
公開する以上、誰かに読んでもらいたいという気持ちはあるわけだ。
そうじゃないなら、ふつうに日記帳つけてろ。
よく本を出版しておいて、別に売れなくてもいいなんて言う奴がいるが、嘘つくな。
だったら、出すなよ。
毎日書いてると、3日に一度とか、1週間に一度とか定期的に訪問してくれる人が出てくるんだ。
たまに覗いてみようとやって来た訪問者が、「何だよ、全然更新されてないじゃないか」と思ったら、だんだん訪問間隔が延びて、ついには来なくなっちゃう。
「でも、毎日ネタをさがすの大変でしょう?」
まあ、一部当たってる。
凡打を恐れちゃいけない。
どんな大打者だって、ヒットを打つのは3回に1回なんだよ。
試しに1週間続けてみな。1日ぐらいは、まずまずかなと思える文章が書ける。
そのまま1か月続けると、これは行けると思える文章が一つは残る。
そんなものだ。
別に論文書いてるんじゃないだろ。
読者の方だって、はなから金出して読むほどの文章じゃないと思ってるんだよ。
だから、自分一人で力んでんじゃないよ。
と、ここまで書いて、ふと全然違うことが頭に浮かんだ。
「会心の授業」。
昔、教員をやっていたころの話。
毎日3時間、週に18時間の授業をやる。年間にすると600時間ぐらいか。
で、この中で「会心の授業」と思えるのは、年に2、3回。
相手(生徒)はどう思っているか分からないが、自己評価ではその程度。
あとはもう反省ばかり。
しまった、あそこでもう一言念を押しておくべきだった。
あの例えは、かえって混乱させちゃったよな。
あいつの答にあの返し、傷つけちゃったかな。
と、こんな繰り返し。
年数を経て、「会心の授業」の割合が増えるかというと、これが増えない。
おかしいな。どんどん経験が増してるのに。
下手になってる? いや、そんなはずはない。
そうか、知らず知らずに自分自身でハードルを上げてるんだ。
新人ならよく出来ましたっていう授業でも、ベテランがそれと同じじゃ満点もらえないもんな。
という次第で、凡打の山を築き続けた私の教員生活だった。
どうぞご自由に。
何かアドバイスをと言うから、「毎日欠かさず書く」とだけ。
公開する以上、誰かに読んでもらいたいという気持ちはあるわけだ。
そうじゃないなら、ふつうに日記帳つけてろ。
よく本を出版しておいて、別に売れなくてもいいなんて言う奴がいるが、嘘つくな。
だったら、出すなよ。
毎日書いてると、3日に一度とか、1週間に一度とか定期的に訪問してくれる人が出てくるんだ。
たまに覗いてみようとやって来た訪問者が、「何だよ、全然更新されてないじゃないか」と思ったら、だんだん訪問間隔が延びて、ついには来なくなっちゃう。
「でも、毎日ネタをさがすの大変でしょう?」
まあ、一部当たってる。
凡打を恐れちゃいけない。
どんな大打者だって、ヒットを打つのは3回に1回なんだよ。
試しに1週間続けてみな。1日ぐらいは、まずまずかなと思える文章が書ける。
そのまま1か月続けると、これは行けると思える文章が一つは残る。
そんなものだ。
別に論文書いてるんじゃないだろ。
読者の方だって、はなから金出して読むほどの文章じゃないと思ってるんだよ。
だから、自分一人で力んでんじゃないよ。
と、ここまで書いて、ふと全然違うことが頭に浮かんだ。
「会心の授業」。
昔、教員をやっていたころの話。
毎日3時間、週に18時間の授業をやる。年間にすると600時間ぐらいか。
で、この中で「会心の授業」と思えるのは、年に2、3回。
相手(生徒)はどう思っているか分からないが、自己評価ではその程度。
あとはもう反省ばかり。
しまった、あそこでもう一言念を押しておくべきだった。
あの例えは、かえって混乱させちゃったよな。
あいつの答にあの返し、傷つけちゃったかな。
と、こんな繰り返し。
年数を経て、「会心の授業」の割合が増えるかというと、これが増えない。
おかしいな。どんどん経験が増してるのに。
下手になってる? いや、そんなはずはない。
そうか、知らず知らずに自分自身でハードルを上げてるんだ。
新人ならよく出来ましたっていう授業でも、ベテランがそれと同じじゃ満点もらえないもんな。
という次第で、凡打の山を築き続けた私の教員生活だった。