ITは時代遅れで、今はICTなんだそうだ
まず有名な笑い話から。
クリントン米大統領と会談することになった英語が苦手な森喜朗総理大臣。
森総理「大統領に会ったら、なんて言ったらいいんだ。おれは英語ができない」
側近「大丈夫。『How are you』とだけ言えばいいんです。『ごきげんいかかですか』という意味です」
森総理「それなら言えそうだ」
側近「そうすると、大統領は『I’m fine, and you?』(上々です。あなたはどうですか)と言いますから、すかさず『me, too』と言ってください。『私もです』という意味です。これで万事うまく行きます」
さて、当日。
たった2つの英語を何度も練習した森総理だが、やはり上がってしまった。
森総理「Who are you?」
クリントン大統領「(お前は誰だ? 知らないはずないから、これはジョークだ。だったら、こっちもジョークで返さなきゃ)I’m Hillary’s husband」
森総理「me, too」
クリントン大統領「???」
これは相当に知られた話だから、皆さんもどこかで聞いたことがあるだろう。誰が創ったのか知らないが、私は、三遊亭歌之介が落語でやっていたのを聞いた。
その英語が苦手な森総理が、「IT革命」を「イット革命」と呼んで笑いをとったのが今から15年ほど前のことだ。
「サメの脳みそ、ノミの心臓」と揶揄された森総理らしい逸話だが、裏を返せば、その当時の一般の認識も、まあまあその程度であったということである。
その後、ITは誰もが知る言葉となり、そして今は、ITはもう時代遅れで、ICTの時代なのだそうだ。
IT(Information Technology)にC(Communication)が加わってICT。
初めて聞いたときは高速道路で使うやつかと思ったよ。
学校のパンフレットを見ても、IT教育からICT教育へと移り変わっている。まことに忙しいことだ。
まあ、実体としてはどっちも似たようなものだとは思うが、ことさらにコミュニケーションを強調するのが、今の時代の流行というものなんだろう。
私が若いころ、最初に接したのは、コミュニケーションではなく、フランス語のコミュニケの方だ。日本語なら声明か。
コミュニケーションの方は、日常的にはあまり使われず、したがって、ことさらにコミュニケーション能力などを求められることはなかった。ある意味幸せ。
その点今の若者たちは、コミュニケーション能力が備わっていないと、これからの社会で通用しないなどとおどかされている。これが苦手だと、コミュニケーション障害とか言って病気にされてしまう。気の毒なことだ。
まあ、社会生活を送る人間にとってコミュニケーションが大事なのは認めるが、それに「能力」までつけることはあるまい。百歩譲って、これも能力だとして、はたしてそんなに上位に持ってくるべきものなのか。
コミュニケーションを強いて日本語に置き換えれば、意思の伝達あるいは意思疎通。互いの感情や意思や知識を伝え合う技ってことだ。そう、これは一種の技であり方法論なんだ。
伝えるべき何かを持っていない人間がコミュニケーション力を磨いたって何の役にも立たない。
クリントン米大統領と会談することになった英語が苦手な森喜朗総理大臣。
森総理「大統領に会ったら、なんて言ったらいいんだ。おれは英語ができない」
側近「大丈夫。『How are you』とだけ言えばいいんです。『ごきげんいかかですか』という意味です」
森総理「それなら言えそうだ」
側近「そうすると、大統領は『I’m fine, and you?』(上々です。あなたはどうですか)と言いますから、すかさず『me, too』と言ってください。『私もです』という意味です。これで万事うまく行きます」
さて、当日。
たった2つの英語を何度も練習した森総理だが、やはり上がってしまった。
森総理「Who are you?」
クリントン大統領「(お前は誰だ? 知らないはずないから、これはジョークだ。だったら、こっちもジョークで返さなきゃ)I’m Hillary’s husband」
森総理「me, too」
クリントン大統領「???」
これは相当に知られた話だから、皆さんもどこかで聞いたことがあるだろう。誰が創ったのか知らないが、私は、三遊亭歌之介が落語でやっていたのを聞いた。
その英語が苦手な森総理が、「IT革命」を「イット革命」と呼んで笑いをとったのが今から15年ほど前のことだ。
「サメの脳みそ、ノミの心臓」と揶揄された森総理らしい逸話だが、裏を返せば、その当時の一般の認識も、まあまあその程度であったということである。
その後、ITは誰もが知る言葉となり、そして今は、ITはもう時代遅れで、ICTの時代なのだそうだ。
IT(Information Technology)にC(Communication)が加わってICT。
初めて聞いたときは高速道路で使うやつかと思ったよ。
学校のパンフレットを見ても、IT教育からICT教育へと移り変わっている。まことに忙しいことだ。
まあ、実体としてはどっちも似たようなものだとは思うが、ことさらにコミュニケーションを強調するのが、今の時代の流行というものなんだろう。
私が若いころ、最初に接したのは、コミュニケーションではなく、フランス語のコミュニケの方だ。日本語なら声明か。
コミュニケーションの方は、日常的にはあまり使われず、したがって、ことさらにコミュニケーション能力などを求められることはなかった。ある意味幸せ。
その点今の若者たちは、コミュニケーション能力が備わっていないと、これからの社会で通用しないなどとおどかされている。これが苦手だと、コミュニケーション障害とか言って病気にされてしまう。気の毒なことだ。
まあ、社会生活を送る人間にとってコミュニケーションが大事なのは認めるが、それに「能力」までつけることはあるまい。百歩譲って、これも能力だとして、はたしてそんなに上位に持ってくるべきものなのか。
コミュニケーションを強いて日本語に置き換えれば、意思の伝達あるいは意思疎通。互いの感情や意思や知識を伝え合う技ってことだ。そう、これは一種の技であり方法論なんだ。
伝えるべき何かを持っていない人間がコミュニケーション力を磨いたって何の役にも立たない。