中2自殺、ストーリーの完成が早すぎる
岩手で起きた中2生自殺問題である。
まず、7月6日。地元紙である岩手日報(WEB版)はこのように伝えた。
「5日午後7時40分ごろ、矢巾町又兵エ新田のJR東北線矢幅駅で、男子中学生がホームから転落し、到着した盛岡発一ノ関行きの上り普通列車(4両編成)にはねられた。中学生は約40分後に列車の下から運び出されたが死亡が確認された。紫波署は中学生の身元の確認を急ぐとともに原因を調べている」
この時点では、事件なのか事故なのか、まだ分からない。身元も未確認。ということで、全国的なニュースにはなっていない。
次に翌7月7日。少し長いが同じく岩手日報記事を引用する。
「矢巾町又兵エ新田のJR東北線矢幅駅で5日夜、ホームから転落し列車にはねられて死亡したのは同町内の中学2年の男子生徒だったことが6日、学校などへの取材で分かった。男子生徒と担任教諭がやりとりする「生活記録ノート」には5月以降、他の生徒から悪口を言われたり暴力を受けたことや「死にたい」などの文言が記されていた。学校側は7日から全校生徒への聞き取り調査を進める。
学校は6日午後に全校集会を開き、事故の概要や男子生徒の家族が自殺とみていることなどを生徒に説明した。7日夜には同校で保護者説明会を開く。
男子生徒の父親(40)は6日、岩手日報社などに生活記録ノートを示した。ノートには他の生徒から悪口や暴力を受けたことが記述され「そろそろ休みたい。氏(死)にたい」などの内容もあった」
ここで朝日や読売など全国紙やTVなども一斉に取り上げることとなり、「中2いじめを苦に自殺」というストーリーが出来上がり、あとは担任が悪い、学校が悪いの大合唱だ。
「いじめを苦に自殺」の根拠になったのは、父親がマスコミに提供した生活記録ノートだ。これがなければ、これほど急速に「いじめを苦に自殺」は広まらなかっただろう。
今時、普通の中学生が自殺すれば、いじめはなかったのかと疑ってかかるのは当然で、新聞記者も、何かそれをうかがわせるものはなかったかと尋ね、その結果出てきたのが生活記録ノートということだろう。まさか、父親が聞かれもしないのに自らノートを持ち出すとは思えない。
しかし、それにしてもストーリーの完成が早過ぎる。
ここはあえて言うが、家庭内の問題もあったかもしれないではないか。
たしかに担任や学校の対応に不適切な点はあったのだろう。だが、最終的に子どもの命を守ってやるのは親である。世界中を敵に回したって子どもの命は守る。それが親というものだ。
親によるこの段階での生活記録ノート開示は、どういう経緯かは分からないが、結果としてはすべての責任は担任や学校にありという世論形成に手を貸している。
この先、担任や学校は袋叩きにあうのだろう。いや、すでにそうなっている。
だが、学校で起きたことは全部学校の責任、生徒の起こした事件は全部学校が悪いと言われても困るのだ。学校や先生はそこまで万能な存在じゃない。
というようなことは、現役の先生たちには発言しにくいだろうから、経験者の一人として言っておく。
まず、7月6日。地元紙である岩手日報(WEB版)はこのように伝えた。
「5日午後7時40分ごろ、矢巾町又兵エ新田のJR東北線矢幅駅で、男子中学生がホームから転落し、到着した盛岡発一ノ関行きの上り普通列車(4両編成)にはねられた。中学生は約40分後に列車の下から運び出されたが死亡が確認された。紫波署は中学生の身元の確認を急ぐとともに原因を調べている」
この時点では、事件なのか事故なのか、まだ分からない。身元も未確認。ということで、全国的なニュースにはなっていない。
次に翌7月7日。少し長いが同じく岩手日報記事を引用する。
「矢巾町又兵エ新田のJR東北線矢幅駅で5日夜、ホームから転落し列車にはねられて死亡したのは同町内の中学2年の男子生徒だったことが6日、学校などへの取材で分かった。男子生徒と担任教諭がやりとりする「生活記録ノート」には5月以降、他の生徒から悪口を言われたり暴力を受けたことや「死にたい」などの文言が記されていた。学校側は7日から全校生徒への聞き取り調査を進める。
学校は6日午後に全校集会を開き、事故の概要や男子生徒の家族が自殺とみていることなどを生徒に説明した。7日夜には同校で保護者説明会を開く。
男子生徒の父親(40)は6日、岩手日報社などに生活記録ノートを示した。ノートには他の生徒から悪口や暴力を受けたことが記述され「そろそろ休みたい。氏(死)にたい」などの内容もあった」
ここで朝日や読売など全国紙やTVなども一斉に取り上げることとなり、「中2いじめを苦に自殺」というストーリーが出来上がり、あとは担任が悪い、学校が悪いの大合唱だ。
「いじめを苦に自殺」の根拠になったのは、父親がマスコミに提供した生活記録ノートだ。これがなければ、これほど急速に「いじめを苦に自殺」は広まらなかっただろう。
今時、普通の中学生が自殺すれば、いじめはなかったのかと疑ってかかるのは当然で、新聞記者も、何かそれをうかがわせるものはなかったかと尋ね、その結果出てきたのが生活記録ノートということだろう。まさか、父親が聞かれもしないのに自らノートを持ち出すとは思えない。
しかし、それにしてもストーリーの完成が早過ぎる。
ここはあえて言うが、家庭内の問題もあったかもしれないではないか。
たしかに担任や学校の対応に不適切な点はあったのだろう。だが、最終的に子どもの命を守ってやるのは親である。世界中を敵に回したって子どもの命は守る。それが親というものだ。
親によるこの段階での生活記録ノート開示は、どういう経緯かは分からないが、結果としてはすべての責任は担任や学校にありという世論形成に手を貸している。
この先、担任や学校は袋叩きにあうのだろう。いや、すでにそうなっている。
だが、学校で起きたことは全部学校の責任、生徒の起こした事件は全部学校が悪いと言われても困るのだ。学校や先生はそこまで万能な存在じゃない。
というようなことは、現役の先生たちには発言しにくいだろうから、経験者の一人として言っておく。