休暇は気分よく取れないと
お盆の時期はいいね。
なぜかって、電話がかかってこないからだ。
私の場合、仕事の都合で例年「お盆休み」が取れず、毎日会社に出ているのだが、やはり、周りが休みを取っているとみえて、ほとんど電話がかかってこない。これは大いに助かる。
GWとお盆と正月。できれば、あともう1回ぐらい、このような時期があると嬉しい。
世間では、このように一斉に休みを取ることに対する批判もあるようだが、私は必ずしも悪いことだとは思わない。
家族と一緒に、あるいは友達と一緒に遊ぶためには、ある程度休みがそろっていたほうがいいと思うからだ。
これに加えて、有給休暇がもっと気兼ねなく取れるようになればいい。
私は公務員(学校の先生)をやって、民間企業のサラリーマンをやって、それから会社経営者というものになったが、働く時間はその順で増えて行った。ということは、休日休暇はその順で減ったということだ。
それでも何とかやっていけるのは、精神的ストレスから自由であるからではないかと思う。
私にとって休日休暇は権利ではない。社員に休日休暇を与える義務を負っているが、自分の休日休暇については何の規定もない。つまり、いつ休もうと自由だ。そして、ここが肝心なところだが、上司や同僚というものが存在しないから、誰に気兼ねすることなく自由に休める。
今朝も墓参りに行ってから会社に出たのだが、昨日の帰りに「明日は墓参りしてから来るからね」と言っただけで、許可も届も要らない。
公務員やサラリーマンのときは、こうは行かなかった。権利だと分かっていても「スミマセン、明日はちょっと・・・」なんて遠慮がちに言わなければならなかった。
こういうのが結構ストレスになるんだね。
過労死というのがあるが、たいていはサラリーマンで、私のような中小企業のオヤジは、たぶんサラリーマンより多く働いているが、それが原因で死ぬことはない。肉体的にはきついのだが、人間関係のストレスからは解放されているからだ。(もっとも、資金繰りに窮して自ら命を絶つことはある)
ただ単に休日休暇を増やすだけでなく、正々堂々、いや、そうじゃないな、気持ちよくだ。そういう気分で休めるような組織風土を作って行くことが必要なんだろう。もちろん、最近ではそういう会社も増えてはいるようだが、まだまだ不十分だ。
なぜかって、電話がかかってこないからだ。
私の場合、仕事の都合で例年「お盆休み」が取れず、毎日会社に出ているのだが、やはり、周りが休みを取っているとみえて、ほとんど電話がかかってこない。これは大いに助かる。
GWとお盆と正月。できれば、あともう1回ぐらい、このような時期があると嬉しい。
世間では、このように一斉に休みを取ることに対する批判もあるようだが、私は必ずしも悪いことだとは思わない。
家族と一緒に、あるいは友達と一緒に遊ぶためには、ある程度休みがそろっていたほうがいいと思うからだ。
これに加えて、有給休暇がもっと気兼ねなく取れるようになればいい。
私は公務員(学校の先生)をやって、民間企業のサラリーマンをやって、それから会社経営者というものになったが、働く時間はその順で増えて行った。ということは、休日休暇はその順で減ったということだ。
それでも何とかやっていけるのは、精神的ストレスから自由であるからではないかと思う。
私にとって休日休暇は権利ではない。社員に休日休暇を与える義務を負っているが、自分の休日休暇については何の規定もない。つまり、いつ休もうと自由だ。そして、ここが肝心なところだが、上司や同僚というものが存在しないから、誰に気兼ねすることなく自由に休める。
今朝も墓参りに行ってから会社に出たのだが、昨日の帰りに「明日は墓参りしてから来るからね」と言っただけで、許可も届も要らない。
公務員やサラリーマンのときは、こうは行かなかった。権利だと分かっていても「スミマセン、明日はちょっと・・・」なんて遠慮がちに言わなければならなかった。
こういうのが結構ストレスになるんだね。
過労死というのがあるが、たいていはサラリーマンで、私のような中小企業のオヤジは、たぶんサラリーマンより多く働いているが、それが原因で死ぬことはない。肉体的にはきついのだが、人間関係のストレスからは解放されているからだ。(もっとも、資金繰りに窮して自ら命を絶つことはある)
ただ単に休日休暇を増やすだけでなく、正々堂々、いや、そうじゃないな、気持ちよくだ。そういう気分で休めるような組織風土を作って行くことが必要なんだろう。もちろん、最近ではそういう会社も増えてはいるようだが、まだまだ不十分だ。