馬齢を重ねている自分がホント情けない
「馬齢(ばれい)を重ねる」という言葉がある。
大したこともせず無駄に年を取るという意味で、人に対して謙遜して言う言葉である。
「いやいや、私なんぞはただ馬齢を重ねているだけですよ。大したことはやってこなかったし、いたずらに年を取っているだけでお恥ずかしい」、とまあ、こんな感じ。
褒め言葉と間違って、「いやぁ、さすが社長。馬齢を重ねているだけありますね」などと言ってしまうと悲劇が待っている。
長寿は目出度いことである。健康であればなおさらだ。
しかし、人の人生は長さだけに価値があるのではない。
タレントの川島なお美さんが54歳で亡くなった。私はこの人のことをほとんど知らないのだが、私より10歳下の54歳というところにどうしても引っかかってしまうのだ。
人生の幸福を長さだけで表わすとすれば、私は現時点において川島さんより10年分幸福であり、川島さんは私より10年分不幸なのである。
が、そうではないだろう。
たとえば、どれだけ人生を楽しんだか、または人を楽しませたか。どれだけ世のため人のために役に立てたか。こういったことは長さ(時間)で測ることはできないが、これもまた人生の幸不幸を表わす尺度であるだろう。
そう考えれば、若くして亡くなったということは、必ずしも不幸とばかりは言えないのである。短いけれど幸福な人生というものもあるのだ。
さて、とうに還暦を過ぎた私である。
ここで人生を終えても、長さで測れば、そこそこ幸福な人生と言えるかもしれない。むろん、この高齢化時代ではちょっと早過ぎると言われるかもしれないが、不足と言うほどでもない。
問題なのは、もう一つの尺度で測った場合に、幸福な人生と言えるかどうかである。これはまったく自信がなく、いまのところ馬齢を重ねていると言うしかない。
急がなければ。
大したこともせず無駄に年を取るという意味で、人に対して謙遜して言う言葉である。
「いやいや、私なんぞはただ馬齢を重ねているだけですよ。大したことはやってこなかったし、いたずらに年を取っているだけでお恥ずかしい」、とまあ、こんな感じ。
褒め言葉と間違って、「いやぁ、さすが社長。馬齢を重ねているだけありますね」などと言ってしまうと悲劇が待っている。
長寿は目出度いことである。健康であればなおさらだ。
しかし、人の人生は長さだけに価値があるのではない。
タレントの川島なお美さんが54歳で亡くなった。私はこの人のことをほとんど知らないのだが、私より10歳下の54歳というところにどうしても引っかかってしまうのだ。
人生の幸福を長さだけで表わすとすれば、私は現時点において川島さんより10年分幸福であり、川島さんは私より10年分不幸なのである。
が、そうではないだろう。
たとえば、どれだけ人生を楽しんだか、または人を楽しませたか。どれだけ世のため人のために役に立てたか。こういったことは長さ(時間)で測ることはできないが、これもまた人生の幸不幸を表わす尺度であるだろう。
そう考えれば、若くして亡くなったということは、必ずしも不幸とばかりは言えないのである。短いけれど幸福な人生というものもあるのだ。
さて、とうに還暦を過ぎた私である。
ここで人生を終えても、長さで測れば、そこそこ幸福な人生と言えるかもしれない。むろん、この高齢化時代ではちょっと早過ぎると言われるかもしれないが、不足と言うほどでもない。
問題なのは、もう一つの尺度で測った場合に、幸福な人生と言えるかどうかである。これはまったく自信がなく、いまのところ馬齢を重ねていると言うしかない。
急がなければ。