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「日暮れて道遠し」は決意か言い訳か

 「日暮れて道遠し」(ひくれてみちとおし)。

 年を取ってしまったのになすべきことがたくさんあって、目的に達するには程遠いことのたとえで、中国前漢の武帝の時代、司馬遷によって編纂された「史記」という歴史書にある言葉だ。

 およそ80年の人生を一日24時間にたとえれば、私などは午後7時過ぎを生きているわけで、日暮れてとっくに夜になってしまっている。
 ちなみに、中学3年生15歳の受験生諸君は、同じ計算をすると午前4時半ごろを生きていることになる。まだ夜明け前。起きて活動するのはこれからだ。7時半(25歳)ぐらいには起きて、自力で人生を歩んでほしい。9時(30歳)まで朝寝坊しているようではいけない。

 さて、この言葉。
 必ずしも老人専用ではなく、期日が迫ったのに、事が完成するまでには程遠いことのたとえとしても用いられる。

 「あれれ、こんな時間になっちまったよ。まだ半分も終わってねえのに、まったく『日暮れて道遠し』だよな」。
 と、こんな使い方をした場合、事をなすのを諦めたわけではない。
 「俺はまだ諦めたわけじゃないぞ。真夜中になろうと、なんなら徹夜しようと、絶対にやってやるからな」。
 そういう前提があっての、「日暮れて道遠し」なのである。

 ところで、「吾日莫(暮)途遠」(われ日暮れて道遠し)には、それに続く言葉がある。
 「吾故倒行而逆施之」(われ故に倒行してこれを逆施せり)。

 伍子胥(ごししょ)という男が、父を殺され復讐するのだが、そのやり方がむごく、人の道に反すると非難され、そこで言い放った。
 「俺はこんなに年を取ってしまったけど、まだやらなきゃいけないことがたくさんあるんだ。急いでるんだよ。方法なんて考えてる時間はないんだ。だから道理に反することをやったんだ」。

 思いっきり意訳してみたが、こうしてみると、「日暮れて道遠し」が言い訳ないしは自己正当化の弁に思えてくる。後半の部分は知らなくてもいいようだ。

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受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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