先輩の体験談は本当か
本日は完全受験生向け。
受験体験記というのがある。
先輩たちが受験勉強のやり方や学校選びなどについてアドバイスするものだ。
私が関係する「よみうり進学メディア」や「埼玉新聞入試特集」などでも、しばしば、こうしたコーナーを設ける。結構、読者(受験生)に受けがいいからだ。
この手のアドバイスは、私たちの方が断然プロなのだが、年の近い先輩たちの話の方が、心に響くと見える。
これらの原稿は、通常、新聞社や出版社が学校に依頼し、先生が書き手である生徒を人選する。
当然、良い子が選ばれる。
良い子が書いた原稿だから、もともと良い原稿に決まっているが、ここで場合によっては先生のチェックが入る。だから、最終的に新聞や雑誌に載る文章は、もっと良くなる。そういう仕組みだ。
だから信用するな?
いやいや、そういう話じゃない。
先生が手を入れると言っても、漢字や言葉の使い方に誤りがないかをチェックするのであって、内容を変えるようなことはしない。
「私は充実した高校生活を送っています」というのも「この学校を選んで良かったと思います」というのも、書いた本人の率直な感想として信じていいだろう。
もちろん大勢いる生徒の中には、「つまらない高校生活だ」と思っている人もいれば、「こんな学校に来るんじゃなかった」と思っている人もいるだろう。そういう意見がお好みという人はネットの掲示板などを見ればよろしい。
学校というのは大勢が集まって生活する場所であるから、一から十まで自分の思い通りなるはずがない。一つや二つの不満は誰にだってあるだろう。
選ばれて原稿を書いた生徒にだって、たぶんある。でも、そういう話は書かない。別に、学校や先生に気を使ってというわけではない。
そういう生徒は、ちょっとした不平や不満は、自分の中で解決できちゃう。
あきらめというのとは違う。噛み砕いて呑み込んで、消化してクソにして出しちゃう、って、そんな感じかな。
大人でもいるんだよ。「息を吐くように不平不満を言うヤツ」。
口を開けば、不平不満ばかりっていう残念な連中だ。
君らは、まさかそんな大人になりたくはないよな。
だったら、「充実してます」、「楽しいです」と言っている先輩たちを信じ、それを目標にしようではないか。
受験体験記というのがある。
先輩たちが受験勉強のやり方や学校選びなどについてアドバイスするものだ。
私が関係する「よみうり進学メディア」や「埼玉新聞入試特集」などでも、しばしば、こうしたコーナーを設ける。結構、読者(受験生)に受けがいいからだ。
この手のアドバイスは、私たちの方が断然プロなのだが、年の近い先輩たちの話の方が、心に響くと見える。
これらの原稿は、通常、新聞社や出版社が学校に依頼し、先生が書き手である生徒を人選する。
当然、良い子が選ばれる。
良い子が書いた原稿だから、もともと良い原稿に決まっているが、ここで場合によっては先生のチェックが入る。だから、最終的に新聞や雑誌に載る文章は、もっと良くなる。そういう仕組みだ。
だから信用するな?
いやいや、そういう話じゃない。
先生が手を入れると言っても、漢字や言葉の使い方に誤りがないかをチェックするのであって、内容を変えるようなことはしない。
「私は充実した高校生活を送っています」というのも「この学校を選んで良かったと思います」というのも、書いた本人の率直な感想として信じていいだろう。
もちろん大勢いる生徒の中には、「つまらない高校生活だ」と思っている人もいれば、「こんな学校に来るんじゃなかった」と思っている人もいるだろう。そういう意見がお好みという人はネットの掲示板などを見ればよろしい。
学校というのは大勢が集まって生活する場所であるから、一から十まで自分の思い通りなるはずがない。一つや二つの不満は誰にだってあるだろう。
選ばれて原稿を書いた生徒にだって、たぶんある。でも、そういう話は書かない。別に、学校や先生に気を使ってというわけではない。
そういう生徒は、ちょっとした不平や不満は、自分の中で解決できちゃう。
あきらめというのとは違う。噛み砕いて呑み込んで、消化してクソにして出しちゃう、って、そんな感じかな。
大人でもいるんだよ。「息を吐くように不平不満を言うヤツ」。
口を開けば、不平不満ばかりっていう残念な連中だ。
君らは、まさかそんな大人になりたくはないよな。
だったら、「充実してます」、「楽しいです」と言っている先輩たちを信じ、それを目標にしようではないか。