現代の元服、成人式では、名前を変えていいことにすれば
明後日、1月11日は成人の日である。
全国各地で成人式イベントが行われるが、そのルーツは昭和21年、埼玉県蕨市で行なわれた「青年祭」だという説がある。
近頃の成人は、自分たちの頃と比べるとずいぶんと子供っぽくなったように思えるが、これは私が年を取り過ぎたからというだけではないだろう。
戦後生まれの私だが、昭和40年代までは、中卒で就職はめずらしくはなかったし、高卒で就職は当たり前だった。大卒はむしろ少数派だったのである。
中卒・高卒の連中は、給料をもらい、場合によっては家計を支え、立派な社会人・職業人として成人の日を迎えたのである。大らかな時代であったから、職場の付き合いで酒も飲んでいただろう。
今時の20歳に比べたら、はるかに「大人度」が高い連中が大勢交じって迎える成人式である。羽目をはずして馬鹿騒ぎなんかするわけがない。
定年も60歳から65歳くらいに延びている時代であるから、成人式も25歳くらいでちょうどいいかもしれない。
ところで、近世以降の武家社会では、元服(げんぷく)という通過儀礼があった。年齢は特に決まっていなかったようだが、これを機に服装とか髪型を変える。
それと名前も変えた。それまでは幼名を名乗っていたが、普通の大人の名前に変える。吉法師から織田信長へ、竹千代から徳川元信(のち元康、家康)、梵天丸から伊達正宗という、あれだ。
さて、そこで。
現代の元服、成人の日にあたっては、キラキラネームから、まともな人間らしい名前に変えてもいいことにするっていうのはどうだ。
親が恥知らずなために、ずいぶんと肩身の狭い思いをしてきた子どもも多いだろう。
改名というのはなかなか面倒らしいので、ここで1回チャンスを与える。もちろん、本人が気に入ってるんなら、そのまま通すのも自由。
「〇子になりました」、「〇夫って変えました」と、みんな新しい名刺をもって、同級生と再会するんだ。これ結構いい考えだと思うんだがな。
まあ中には、それまでにも増して、ぶっ飛んだ名前にするヤツもいるかもしれないが、今度は自分の責任だ。
全国各地で成人式イベントが行われるが、そのルーツは昭和21年、埼玉県蕨市で行なわれた「青年祭」だという説がある。
近頃の成人は、自分たちの頃と比べるとずいぶんと子供っぽくなったように思えるが、これは私が年を取り過ぎたからというだけではないだろう。
戦後生まれの私だが、昭和40年代までは、中卒で就職はめずらしくはなかったし、高卒で就職は当たり前だった。大卒はむしろ少数派だったのである。
中卒・高卒の連中は、給料をもらい、場合によっては家計を支え、立派な社会人・職業人として成人の日を迎えたのである。大らかな時代であったから、職場の付き合いで酒も飲んでいただろう。
今時の20歳に比べたら、はるかに「大人度」が高い連中が大勢交じって迎える成人式である。羽目をはずして馬鹿騒ぎなんかするわけがない。
定年も60歳から65歳くらいに延びている時代であるから、成人式も25歳くらいでちょうどいいかもしれない。
ところで、近世以降の武家社会では、元服(げんぷく)という通過儀礼があった。年齢は特に決まっていなかったようだが、これを機に服装とか髪型を変える。
それと名前も変えた。それまでは幼名を名乗っていたが、普通の大人の名前に変える。吉法師から織田信長へ、竹千代から徳川元信(のち元康、家康)、梵天丸から伊達正宗という、あれだ。
さて、そこで。
現代の元服、成人の日にあたっては、キラキラネームから、まともな人間らしい名前に変えてもいいことにするっていうのはどうだ。
親が恥知らずなために、ずいぶんと肩身の狭い思いをしてきた子どもも多いだろう。
改名というのはなかなか面倒らしいので、ここで1回チャンスを与える。もちろん、本人が気に入ってるんなら、そのまま通すのも自由。
「〇子になりました」、「〇夫って変えました」と、みんな新しい名刺をもって、同級生と再会するんだ。これ結構いい考えだと思うんだがな。
まあ中には、それまでにも増して、ぶっ飛んだ名前にするヤツもいるかもしれないが、今度は自分の責任だ。